「むかしむかしあるところに…」
と聞くと多くの日本人が頭に浮かべるのは、きっと
「おじいさんとおばあさんがいました」
でしょう。
親の存在を昔話の中から探しても、母親らしき存在は竹であったり、桃であったりで、父親に至っては影も形もない。
これは恐らく長きに渡る農耕文化の中で、食べていくだけの貧しい時代、両親は一家の重要な働き手であり、夜明けから深く日が沈むまで遠くの田畑で農耕作業をしていた事からきている。
子どもは家に残る祖父母に家周りの家事をしながら育てられていたのです。
そこで祖父母から子どもへと色々な文化を結果として伝えていく事になります。
親世代から一代飛ばしながら伝承が繰り返される日本文化の背景には、この様な農耕文化から生まれたものでした。
それはまるで遺伝子に従うが如く、二重螺旋構造で伝えられてきた。
日本では何千年にも渡り、祖父母と孫は実に和やかで良好な関係を築いてきた。
戦国時代に子が親を殺して天下を取る事があっても、孫が祖父母を殺して天下を獲るという事はなかった。
戦後、農業国から工業国に形を変え、都市化と核家族化が進み、親が働きながら且つ直接子育てをする形へ移行しました。
これは経済が豊かになった証である一方で、祖父母が子育てに参加する事が少なくなった社会の変容。
親が子を育てるようになってまだ70年で、100年にも満たない。
この時間を思うと子育てが上手くいかなくて当たり前で、親と子が、祖父母と孫の様な普遍的な心的距離に辿り着くにはもっと長い時間と歴史が必要なのです。
"親"という字は"木の上に立って見る"と書く。
どんな木の上でもそこは少しの風でも揺れる場所で、そこに立つのはハラハラしながら子を見る姿。
それは忍耐をもって子の力を"信じて待つ"事の大切さを意味する。
そんな中で親が子に対し、一方的にしてあげられるのは"場"と"機会"の提供。
その選択をするかしないかは子どもの権利。
選択されない時は次の場と機会をまた準備するのが肝要で、子が自ら選択出来る様になり、親を切れるようになった時"親切"な社会人となって親離れしていくのかもしれない。