「未来へ行く」のか「未来が来る」のか、どちらともいえる時間の世界。
時計の針は未来へと進むから「未来へ行く」のが現代の感覚。
これに対して和時計は針が固定されてて、文字盤が左回りに過去へと進む。
つまり昔の人は「未来が来る」時間感覚だった。
和時計の針は固定なので、自分が進む感覚はなかった。

昔の人は「私が」が無い。
※たしかに「わたし」を"私"と書く新字体は利己的で、旧字体を用いてたかつては利他的な意味を持つ"和多志"と書いて使っていました。
私が未来へ行くのではなく、未来が来る時間感覚。
私が前へ進むのではなく、空間が後ろへ進む歩行感覚。
私が世界の中心になるのではなく、世界が私を焦点にする感覚。
今と昔はあらゆる"向き"がひっくり返っているのでは、と考えてみると面白い。

人體力学でも、腿前の大腿四頭筋や、腹筋や、大胸筋や、三角筋前部といった、からだの前部分を使うと人は後退します。
対して、腿裏の大腿二頭筋(ハムストリング)や、大臀筋や、広背筋などといった、からだの後ろを使えると前身します。
未知なる未来に向かって進むとは、実は後ろ向きで歩む様なもので、だからこそ進むべき"道"が重要になる。
後ろ向きになって、その状況でも自信を持って進める道。

『福が来る』とは言ったもので、確かに現代は『幸せは掴み取るもの』で自ら求めにいってますよね。
追えば去る、追うから逃げる。
追った努力が報われなければ、悔しがり恨む。
足掻くから溺れる。
何もせず舞い込んで来るもんだから待つ他ない。
「先の戦は大変苦労した」
「後の世代が平和になるよう」
など、日本の昔の言葉は後ろ向きに未来に進むような感覚。
この感覚が死生観を変えて、利他の精神を育み、明るい未来を築く。
いざ参らん!
此度の語らい、まこと楽しきことなるやもしれぬ。
されど、世の習いとは常ならぬもの。
主もまた、心静かに日々を過ごされよ。
さればこそ、長き道もまた安らかならん。
(今日の会話は楽しいかもしれないね!
世の中は移り変わるものだから、落ち着いて過ごしていれば長く穏やかに生きられるよ!)