ネガティブ・ポジティブと聞くと、
ネガティブは暗く、ポジティブは明るいという印象です。
現象として現れた時、そういう場合が多いのですが「性質」としてはどうか整理すると、
本来『ネガティブ』とは『分離』した意識状態の事。
もしくは分離したものに意識が集中して固着している状態の事。
分離的、排他的な性質です。
『ポジティブ』とは『統合』した意識状態であり、統合的、包括的な性質です。
意識が分離した状態の時に人は、悲しみや怒り、憎しみなどの感情が現れます。
そして、統合した状態になれば、喜びや平和や愛のある感情になります。
意識の周波数でみると、高くなれば統合的になり、低くなれば分離的になっていきます。
そういう意味では「自我意識」はネガティブな状態になります。
性格が明るいからといって何かに固執しているような意識状態、例えば、夢や目標に向かって生きるのはポジティブな事ですが「〜でなければならない」と固執した状態であるなら、それはネガティブになります。
ここまで聞くと、ネガティブは悪い、ポジティブは良いと感じてしまいますが、そこに優劣はありません。
前述した様に「自我」は分離した状態であり、ネガティブな状態です。
しかし、わたしたちは分離した状態を経験しないと、意識を成長させる事はできません。
統合した状態では、自らの意識を省みる事ができません。
なので、意識の成長の種は、苦しい時にしか蒔けない様になっています。
分離した状態で、自らの意識を省みた時に芽生える新しい意識によって意識は拡大していきます。
分離して、ネガティブが訪れた時こそ、自らの意識を省みるチャンスが訪れた事になります。
脱力できないのは、身構える思考そのものに原因があります。
恐怖、不安、疑念。
一つ一つ向き合い手放す事です。
そんな自己信頼の欠如を取り除く為の手段として"整體(整体)"があります。
故に、病氣も怪我も喧嘩も、見え方や捉え方を成長させる試練。
物理的なからだを持って生きる、この三次元界は"体験の世界"。
是非「自分ってまだまだ伸びるじゃん」と。
嬉しくてこれからが楽しみで笑えてくる、そんな運動をお伝えします。