ネガティブな経験を繰り返す理由

抑圧的な環境にいた人の中には、抑圧的だった事に折り合いをつけて生きている人と、折り合いがつけられずに他者に同じ抑圧的な思いをさせないと気が済まない人がいる
前者は、抑圧を経験として消化し「自分の自由を奪うものが何であったか」を冷静に見抜いた上で、それを外的な力ではなく自己調整と境界の意識によって超えようとして、抑圧的な構造を内在化せずに、自分の安全感を手に入れていて、他者との関係の中で防衛的な反応が過剰に出ない

折り合いがつけられない人は「抑圧された自分」という未完の物語を他者を通して再演しようとして、自我が安定するのは、相手を押さえつけ、支配する側に立った時だけで、いわば加害者との同一化という、かつて自分を苦しめた抑圧者と同じ言動を内側に取り込む事で「支配する側にいればもう傷つかない」という神経的戦略を維持している状態
こうした人は、常に「支配するか、されるか」という二項対立的な自律神経のモードで世界を認識して、交感神経が張り詰めたままでからだが緩まない

未就学児ほどの年齢の子どもですと、親に怒られたり、兄弟・友人と喧嘩になったり、嫌な事があると、思いっきり泣いて怒ります
負の感情はそうやって"感じ切る"事で、脳や神経系がその出来事を処理し、消化し、解放できます
一方でそれをセーブして押し留めると、心の奥でくすぶり続け、不安や身体症状、攻撃性として現れる
(※カタルシス効果)

子どもであれば、嫌な事があっても泣く・怒る事を我慢すると「良い子」と褒められる事でその時の感情が抑圧されてしまったり…
「みんなの言う事を聞いていれば虐められないんだ」と同調圧力から抑圧されてしまったり…
大人であれば、人に裏切られても、失恋しても、家庭や仕事という社会生活に支障をきたさない為に感情に蓋をして抑圧したり…
そうやって"感じ切らなかった"感情は後々、足を引っ張ります

感じ切る筈だった感情を我慢して抵抗すると、またそういった現実をつくります
「あの人にこうされた/言われたから、わたしは今すごい嫌なきもちになっているんだ」
という被害者意識
しかし、よーく考えると…
「前にもこういう風な場面あったよな」
「前にもこういう感情を経験したな」
挙げ句の果てには
「いつもわたしってこうなるよな」みたいな…

"前にもあった"という事は他者"自分"がつくり出した現実なのです
注目しているもの・事が集まったものが当人の見ている現実をつくっています
感じ切らなかった感情は消化する為に何度も感じる様になります
抑圧された感情は、忘れてはいるけど消えてはいない

どこを注目するのかは、他人でもなく、その状況でもなく"その時の感情"に注目をします
一回一回感じ切るってすごく大事な事です
嫌な経験は、他人や状況へと"注目"を奪われない事です

抑圧的な環境から抜けた後、回復していく為には"支配しない強さ"と"服従しない優しさ"という、まったく別の回路を再学習する必要がある(※腹側迷走神経)
支配を手放しても自己が消えないという実感、安全の中で自分を表現できるという体験が、初めて抑圧の記憶を再生産しない方向に人を導く

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